大学資料になるかな。
引用URL:
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20081216ddm001040016000c.html
<がんを生きる>寄り添いびと/1(その1) 「余命1年」、自殺防止にささげる
2008年12月16日(火)13:00
公園のイチョウの葉も残りわずかな師走の夜に、電話の着信を告げる青ランプが点滅し、小さく震えた。
「もしもし東京自殺防止センターです。どうなさいましたか」
西原明さん(79)が穏やかな声で応じる。クリスマスソングが流れる東京・歌舞伎町から北へ1・5キロ。センターは三方をマンションに囲まれた小さな教会に間借りしている。
電話相談を始めて30年。生と死のはざまでさまよう声を聞いてきた。そして今、自分の命と向き合っている。
「余命1年」と告げられたのは昨年の今ごろだ。末期の大腸がんだった。「切るのはやめて受け入れましょう」と医師は言った。
「これからはやりたいことをやる」。小さな目標を立て、一つずつこなしてきた1年だった。来年3月で80歳。「誕生日はここで迎えたい。欲張りかな」。笑顔を添えて夢を語る。
電話は夜の8時から翌朝6時まで受け付ける。60人のボランティアが月に3回、4時間交代で担当する。
「生きる意味ってなに?」「どうして死んじゃだめなの?」
クリスマスや正月は呼び出し音が鳴りやまない。周りが幸せそうに見える時ほど、人は寂しさを募らせるものらしい。
失業、貧困、暴力、病、別れ。痛みは限りなく存在し、電話してくる人の7割が「死にたい」と口にする。その叫びを丸ごと受け止め、生きてほしいと願いをこめる。
「あなたは一人じゃない。いま、電話がつながっていますよ」
午前0時。明さんはこの日の当番を終え、背伸びをした。外は木枯らし。屋根の十字架のかなたで、星が凍えている。
◇
日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ。国民病ともいえる病の末期を宣告された牧師が、自殺の防止に残された生をささげる。3万人が自ら命を絶つ時代に、生の輝きをともす彼と仲間たちの物語を記す。【萩尾信也】<社会面につづく>(次回から社会面に掲載)
引用URL:
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20081216ddm041040110000c.html
<がんを生きる>寄り添いびと/1(その2止) 闘わない選択
2008年12月16日(火)13:00
<1面からつづく>
◇人は他人の死を通して死を学び、自分の死を前にして生を意識する
「僕の命はあと1年だそうです」
昨年の大みそか。東京・新宿のNPO法人自殺防止センターで相談員の仲間たちと年越しそばを食べていると、西原明さん(79)が唐突に切り出した。
「主治医に『手術は無理』と言われ、正直ほっとしました。闘うより、毎日やりたいことをする。僕にはそのほうが向いています」。淡々とした口調に聞こえた。
「来年も一緒にそばを食べましょうよ」
誰かが声を上げた。除夜の鐘が08年の始まりを告げていた。
明さんとは6年前に自殺の取材で知り合った。人の命に寄り添おうとする生き方に打たれ、研修を受けて、時折センターの電話番に入るようになった。
明さんが自殺防止の取り組みを始めたきっかけは、一本の電話だった。1960年代後半、大阪の教会で牧師をしていたころだ。
かけてきたのは、親しくしていた信徒の青年だった。「夜、眠れなくてすごくつらい」と繰り返し、「みなさんによろしく」と言って切れた。青年はその日のうちに自ら命を絶った。
長くうつ状態が続いていたことは知っていたが、死を思うほどとは気付かなかった。「なぜ彼の痛みに寄り添えなかったのか」という自責の念が、明さんと妻由記子さん(74)を突き動かした。
「できることは何か」
模索のうちに電話相談のノウハウを学び、78年1月、大阪自殺防止センターを開設した。教会内の部屋に2本の電話を引いたら、すぐに「死にたい」という少女の声が飛び込んできた。その年、若年層の自殺が社会問題化していた。
年間の自殺者が初めて3万人を超えた98年、大阪の活動を後進に託して夫婦で上京し、東京センターを開いた。「なんとかしなければ」との危機感にかられていた。
大腸がんが見つかったのは、その3年後のことだ。内視鏡を入れたら、ブドウの房のような腫瘍(しゅよう)が見えた。05年に再発。患部は切除したが、人工肛門(こうもん)の生活になった。
手術の影響で腸閉塞(へいそく)になりかけたこともあった。あの時は、葬式の段取りを決めて、神学校の同級生に追悼の辞を頼んだ。そして昨年。新たな転移が分かり、自分の余命を知った。
「命というものは不思議なもんだね。人は他人の死を通して死を学び、自分の死を前にして生を意識するんだ」
医師が告げた余命の1年が過ぎた今、明さんはそう思う。傍らで由記子さんが笑っている。センター開設以来、ボランティアの仲間たちに少しでも休んでもらおうと、夫婦で続けてきた「年越しの電話番」。愛用のかばんの中に入れた黒い手帳の大みそかのスケジュールには、今年も予定が書いてある。【萩尾信也、題字は書家の木島杏子さん】=つづく
引用URL:
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20081217ddm041040087000c.html?C=S
<がんを生きる>寄り添いびと/2 やりたいことは何?
2008年12月17日(水)13:00
◇人はいかようにも言葉で心を変えられる
たったひと言が、相手の気持ちを変えることがある。絶望に突き落とすこともあれば、生きる力を沸き上がらせることもある。東京・新宿の自殺防止センターの仲間たちは、それを試行錯誤の中で学んできた。
梅雨空が広がっていたころ、末期の大腸がんを患うセンターの大黒柱、西原明さん(79)は少し気弱になっているように見えた。
尿に血が混じり、鈍痛が始まっていた。「いよいよかな」。手で下腹部をさすっては、小首をかしげた。
「センターの活動に支障が出るのはいやだな。動けなくなったらホスピスに行くよ」
「長くはないんだから家でみるわよ」
妻の由記子さん(74)とそんな言葉を交わした。
初夏。明さんは私の知人の紹介で、在宅訪問診療を長く続ける中村洋一医師(53)の診察を受けた。さまざまな病で命の丈を知った患者のサポートをしてきた中村医師は、にっこり笑って言った。
「やりたいことは何ですか」
どう死ぬかではなく、どう生きるか。中村医師の問いかけは、センターに電話をかけてくる人々に、明さん自身が投げかけてきた問いでもあった。
「自殺防止セミナーが2回あります。外国にも行きたい。ボランティアの研修もあるし、できるだけ電話に出たいですね」
「やりましょうよ」
中村医師は言った。
10月中旬。明さんは大阪で開いたセミナーの合宿に参加した。下旬には、センターが加盟する国際組織のワークショップに出席するためタイに向かった。世界中から集まった同志に、いま一度あいさつしたいという願いをかなえた。
11月。夫婦で英国に飛んだ。半世紀以上も前に自殺防止の電話相談を始めた恩師の追悼礼拝に参列し、感謝の気持ちを伝えた。昨年逝った恩師は、2人がセンターを設立する際に来日し、言葉が人の気持ちを変え得ることを教えてくれた。
由記子さんに車椅子を押されて明さんがロンドンを歩いているころ、私は中村診療所の一行と、もみじのトンネルを抜けて温泉旅行をしていた。今年で17回目の旅路だった。
103歳を筆頭に、病を抱えた男女が家族やボランティアに付き添われて参加していた。医学的には治る見込みのない患者もいたが、みんな生気に満ちていた。
師走。明さんはクリスマスイブの礼拝で話すメッセージの原稿を書いている。聖書は死と復活の物語を伝えている。
「実に面白いね。やはり言葉が心を動かすんだ」
明さんは今に至って改めて思う。人はいかようにも心を変えられる、と。「だからきっと、僕たちは電話相談を続けることができるんだね」【萩尾信也】=つづく
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