日本人の「緊張」今どこに /東京
緊張をしているのが恥ずかしいと思う習慣があるのかもしれない。
出来なかった言い訳かもしれない。
日本人として括っていいのか私には分からない。
自分の身の回りのことを日本人と括っていまうのは、問題がある。
どこまでが日本人としての共通する部分なのか。
参考URL:
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/region/20080129ddlk13070440000c.html
日本人の「緊張」今どこに /東京
以前はこの時期になると「受験が近いのですが、いざとなるとすぐに緊張して実力が発揮できません。どうしたらいいのでしょう?」といった相談をよく受けた。ところが最近は診察室でもプライベートでも、この手の相談はほとんどない。
大学で入試監督にあたることがあるのだが、そこでも「あ、あの子、ずいぶん緊張しちゃってかわいそうに」などと思うこともなくなった。科目と科目の間の休憩時間にも、お菓子を食べたり友だちどうしでおしゃべりをしたり、自分の高校にいるかのようにリラックスしている。先日など「チョコ食べすぎちゃって、さっきの英語の時間、眠くなって困ったよ」などと話している受験生もいた。大物のようにも単に緊張感がなさすぎなだけのようにも見える。私の時代には、「人に呑みこまれないように、手のひらに『人』と書いて呑み込むポーズをしましょう」といったおまじないもいくつかあったが、最近はそんなことをする受験生も見かけない。日本人は、昔に比べて緊張しなくなったのだろうか。
たしかに、テレビの街頭インタビューに答える人、討論番組のスタジオで意見を言う人、みな堂々としている。そういう人ばかりを選んで映し出しているのかなとも思うが、教室でいきなり「はい、そこの人」と指名して意見をきいてもモジモジする学生は少ない。
現在の国際的な診断基準からはその名が消えてしまったが、かつて対人恐怖症は日本人特有の病気だと言われた。大勢の前であがって顔が赤くなり、しどろもどろになるこの人たちは、自分の失態でまわりの人に迷惑をかけてしまうのではないか、と周囲のことを気づかいすぎるあまり、逆にうまく話したり振舞ったりできなくなってしまうのだ。
だとするならば、どこでもリラックスして堂々と言いたいことを言う今の日本人は、周囲への気配り、気づかいに欠けているということなのか。もちろんそれだけではなく、いわゆるアメリカ的な自己主張能力が身についたことも大きな要因なのだろう。とはいえ、「私なんかがみんなの前で話していいの? きっとおかしなことを言って、場の雰囲気を壊してしまう」と心配するあまりうまく話せない、という昔の日本人の対人恐怖症的なやさしさ、繊細さがちょっぴりなつかしくもある。「私なんか」と怖気づいていては国際社会を生き抜いてはいけないのかもしれないが、たまには「えー、私ですか」とモジモジするのも悪くないのでは。でも、精神科医がこんなことを言うべきではないのだろうか。
出来なかった言い訳かもしれない。
日本人として括っていいのか私には分からない。
自分の身の回りのことを日本人と括っていまうのは、問題がある。
どこまでが日本人としての共通する部分なのか。
参考URL:
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/region/20080129ddlk13070440000c.html
日本人の「緊張」今どこに /東京
以前はこの時期になると「受験が近いのですが、いざとなるとすぐに緊張して実力が発揮できません。どうしたらいいのでしょう?」といった相談をよく受けた。ところが最近は診察室でもプライベートでも、この手の相談はほとんどない。
大学で入試監督にあたることがあるのだが、そこでも「あ、あの子、ずいぶん緊張しちゃってかわいそうに」などと思うこともなくなった。科目と科目の間の休憩時間にも、お菓子を食べたり友だちどうしでおしゃべりをしたり、自分の高校にいるかのようにリラックスしている。先日など「チョコ食べすぎちゃって、さっきの英語の時間、眠くなって困ったよ」などと話している受験生もいた。大物のようにも単に緊張感がなさすぎなだけのようにも見える。私の時代には、「人に呑みこまれないように、手のひらに『人』と書いて呑み込むポーズをしましょう」といったおまじないもいくつかあったが、最近はそんなことをする受験生も見かけない。日本人は、昔に比べて緊張しなくなったのだろうか。
たしかに、テレビの街頭インタビューに答える人、討論番組のスタジオで意見を言う人、みな堂々としている。そういう人ばかりを選んで映し出しているのかなとも思うが、教室でいきなり「はい、そこの人」と指名して意見をきいてもモジモジする学生は少ない。
現在の国際的な診断基準からはその名が消えてしまったが、かつて対人恐怖症は日本人特有の病気だと言われた。大勢の前であがって顔が赤くなり、しどろもどろになるこの人たちは、自分の失態でまわりの人に迷惑をかけてしまうのではないか、と周囲のことを気づかいすぎるあまり、逆にうまく話したり振舞ったりできなくなってしまうのだ。
だとするならば、どこでもリラックスして堂々と言いたいことを言う今の日本人は、周囲への気配り、気づかいに欠けているということなのか。もちろんそれだけではなく、いわゆるアメリカ的な自己主張能力が身についたことも大きな要因なのだろう。とはいえ、「私なんかがみんなの前で話していいの? きっとおかしなことを言って、場の雰囲気を壊してしまう」と心配するあまりうまく話せない、という昔の日本人の対人恐怖症的なやさしさ、繊細さがちょっぴりなつかしくもある。「私なんか」と怖気づいていては国際社会を生き抜いてはいけないのかもしれないが、たまには「えー、私ですか」とモジモジするのも悪くないのでは。でも、精神科医がこんなことを言うべきではないのだろうか。





